ヒロシマ訪問 2
ヒロシマ原爆ドーム
「ヒロシマ原爆ドーム」の元の建物
破壊された内部。中で働いていた方は、全員が亡くなりました。
投下直後の町の様子
1945年8月6日、人類史上初めて、原子爆弾が投下されました。
投下後、約1分でリトルボーイ(原始爆弾)は爆発地点に到達したのだそうです。リトルボーイは日本時間午前8時15分、今日”原爆ドーム”と呼ばれている建物の上空580メートルに達した時爆発しました。爆風と熱(爆発の中心部では6000度・地上に到達した熱は3000度とも言われています)の形で凄まじいエネルギーを発生し、人体に悪影響を与える放射線(ガンマ線と中性子)を大量に発生しました。
熱線が地上に到達したとき、人間を含め全てのものが焼かれ、一瞬にして14万人の命が奪われ、町が地獄と化したのです。
原爆による爆風は半径2km以内の家と建築物のほとんどを破壊した。山によって反射された爆風が再び市の中心部にいた人たちを襲いました。
放射線にさらされた多くの人々(20万人とも言われています)は最初の数カ月あるいは数年で亡くなり、またある人は遺伝子に問題が起こり、障害を持つ赤ん坊が生まれたり、子どもを持てなくなったりしました。原爆による放射線は、62年後の現在も深刻な問題を引き起こしています。
原爆の被害を受けたほとんどの人々は一般市民であり、学生や兵隊、町の工場で働かされていた韓国人なども含まれているそうです。
高校の修学旅行以来、何年ぶりかで訪問しました。
75年間は、草木も生えないといわれていた「町」に、緑豊かな木々が見事に生い茂っていました。
62年の歳月が過ぎていても、あの一日で、亡くなった多くの人たちの「悲しみや苦しみ」「生きたかった」という想いなどが、大地から伝わってくるようでした。
敗戦の色が濃くなっていた8月6日の朝、空襲で焼かれてはいけないという事で、建物を取り壊すために沢山の人が借り出されていて、被爆しました。
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