オオサカジン

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2008年01月22日

リハーサルです。

      『Peace Angelー平和の天使たち』ドイツ国際平和村支援チャリティーコンサート
      が、たくさんの方の暖かいご協力で、盛況のうちに終了しました。




朝8時半には、サポーターの方はもちろん、ボランティアとして申し出てくださった皆さんも集合して、打ち合わせが始まりました。9時からのリハーサルは、舞台担当の千春さんが取り仕切ってくださって、今回初参加の佐藤君が一生懸命にgoodサポートして予定通りに終了。
ロビーでは、パネル展示や物品販売・受付の用意をボランティアの方とサポーターとが手際よく進め、予定よりもずいぶん早く用意が完了。
司会の2人ー赤羽まき子さん・田川真梨子さんの2人が、年齢差をものともせず、お互いの持ち味を出し合って時間通りに本番がスタート。

途中、休憩時間には、コーヒーサービスがあり、ペイ・フォワード倶楽部特製チョコレートケーキ(200円で販売)も完売する盛況ぶりでした。
今回は石川県から参加されたサポーターの吉田さんや、トークセッションに出演いただいた蔵田さん(山口県から来ていただきました)とも初めてお会いする事ができたことも、とてもとてもうれしかったです。

平和村の紹介やトークセッション・東さんのビデオレターの時には、真剣なまなざしが、クイズでは大いに盛り上がって、演奏では心に染み入る音色に聞き入り、楽しく明るい歌声に笑顔が溢れた一日でした。

皆が目標にしていた金額を大きく上回る送金が出来る予定です。これも、皆さんの協力があってのことと、深く感謝しています。

有難うございました。


詳しい内容は、ペイ・フォワード倶楽部のブログでご覧下さい。  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 00:50Comments(0)ペイ・フォワード倶楽部

2008年01月18日

あと、2日です。

『Peace Angelー平和の天使たち』

大阪女学院まで、ハンドベルを預かりに行ってきました。ハンドベルのケースが大小7個。
ハンドベルを置くマットの収納ケースが4個。
器具が2袋。





何とかマイカーに積み終わり、ホット一安心。
総額2百万円なり・・・と聞いて、普段よりも何倍もの慎重な運転。

無事に我が家にたどり着き、当日まで大切に保管いたします。

予定通りに行かない事も多々ありながら、それでも準備は進んでおります。

あと、2日です。

  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 23:31Comments(0)ペイ・フォワード倶楽部

2008年01月09日

打ち合わせ

Peace Angelー平和の天使たちの映像担当者との打ち合わせをしました。





今年は、舞台だけではなく、スタッフの活動(いわゆる、ペイ・フォワード倶楽部プロモーションビデオ)もビデオに納めようと言う事になっていますので、いろいろ注文が多いです。なんせ、知識がなく、アイディアだけを出すのですから、担当の方は大変!


今年で2年目を迎えるこのコンサートも、たくさんの方のご協力で開催できる事を、いつも感謝しています。
  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 16:13Comments(0)ペイ・フォワード倶楽部

2008年01月07日

大阪天満宮

  初詣は、地元 『千里山神社』 に仁義を通し、今日は日ごろお世話になっている天神橋筋商店街会長の土居さんに新年のご挨拶を兼ねて、大阪天満宮にお参り行ってきました。

お正月と言う事もあり、みんなで着物を着ていこう! と、朝から大騒ぎをして着付けをし、いざ出発!




日曜日と言う事もあり、かなりの人出で賑わっていました。
しかし、少し驚いたのは、着物を着てお参りをしている人は、私たち以外にはいなかったのです。今回、ちょっと大変でしたが、着物を着てみて、いろんな事がわかりました。
昔の人は、着物が普段着だったわけで、掃除や家事などは全部着物を着てやっていたのですよね。大変と言うか、体力がいると言うか・・・、それよりも、着ることだけでも体力がかなり要ります。
でも、何年かぶりに着てみて、日本のよき文化をしみじみと感じたので、これからも着る機会を作りたいと思います。

そして、
ペイ・フォワード倶楽部の「美男&美女」6人は、それぞれにおみくじを引いたのですが、私を除く5人は「吉」とでて、かなりご機嫌よろしかったです。 しかし、私はナント! 「凶」・・・・

  ひたすら、祈り続ける事・・・らしいです。 
  しかし、みんなの「吉」には、条件がついているのですよね。

  努力をすれば・・・
  積み重ねるならば・・・
  
  その条件付の「吉」が、それぞれの方の努力で成果がでる事を、私はひたすら祈るだけなのでしょう。






世界の平和と家族の健康と大切な仲間の幸せを神妙に祈りました。

帰りに、土居陶器店に寄り、土居会長にご挨拶をしました。
春に設立予定の『NPO法人ペイ・フォワード倶楽部』のパンフレットに名誉会員として、コメントとお写真を載せる事を快諾して頂きました。 

そして最後は、やはり・・・  花より団子・・・

土居さんのお店で売っている、おせんべい・まめ・かりんとう・・・・を買ってお参りは終了しました。  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 00:06Comments(0)ペイ・フォワード倶楽部

2007年12月13日

手作りコースター

手作りでたくさんの素敵な作品を作っておられる”三好さん”から、プレゼントを頂きました。




クリスマスカラーの生地で、なんでもないコースターのように見えますが、とっても丁寧に作られていて、四方に小さな金色のボールがついています。作る方の暖かい心が伝わってきます。

ペイ・フォワード倶楽部のチャリティーでも、手作り作品の販売をしていますが、これから作成をお願いすることにしました。布を前にすると。アイディアが泉のように湧き出してくるなんて、本当に素敵 ! です。  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 13:51Comments(0)ペイ・フォワード倶楽部

2007年12月08日

募金箱

阪急「関大前」から、正門へ行く道を入ってすぐのところにある、「横山マンション」の1Fに
市民活動を活発にする会が、ありますが、募金箱を設置していただきました。




                     ちょっと大き目の募金箱です。




ここは、いろんな方がコミュニケーション取り、市民活動が活発になっていくと良いという事で、オーナーの横山正和さんのご好意で使用できるようになっています。  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 17:19Comments(1)ペイ・フォワード倶楽部

2007年11月26日

早速・・・

   くつしたのお店 「hanako」 - カルフール尼崎店に、募金箱を置いていただきました!





  レジの横には、「ドイツ国際平和村」の簡単な説明のポスターも一緒です。



 

  お近くの方、募金箱を見つけたら、よろしくお願いしますキョロキョロ



  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 22:44Comments(0)ペイ・フォワード倶楽部

2007年11月25日

募金箱



 知恵を絞って、やっと完成した「募金箱」

 たくさんの人の知恵と労力と時間がかかっています。

 でも、これが10個  20個・・・  50個・・・・  100個

 と、置いていただけるところが増えていくと、すごい事になっていきますよね!

 1人の力は小さいけれど、沢山集まれば、大きな力に・・・・

     募金箱を設置していただけるお店を募集しています!  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 22:44Comments(3)ペイ・フォワード倶楽部

2007年11月21日

ヒロシマ訪問 2

ヒロシマ原爆ドーム



「ヒロシマ原爆ドーム」の元の建物



破壊された内部。中で働いていた方は、全員が亡くなりました。



投下直後の町の様子


1945年8月6日、人類史上初めて、原子爆弾が投下されました。

投下後、約1分でリトルボーイ(原始爆弾)は爆発地点に到達したのだそうです。リトルボーイは日本時間午前8時15分、今日”原爆ドーム”と呼ばれている建物の上空580メートルに達した時爆発しました。爆風と熱(爆発の中心部では6000度・地上に到達した熱は3000度とも言われています)の形で凄まじいエネルギーを発生し、人体に悪影響を与える放射線(ガンマ線と中性子)を大量に発生しました。
熱線が地上に到達したとき、人間を含め全てのものが焼かれ、一瞬にして14万人の命が奪われ、町が地獄と化したのです。

原爆による爆風は半径2km以内の家と建築物のほとんどを破壊した。山によって反射された爆風が再び市の中心部にいた人たちを襲いました。

放射線にさらされた多くの人々(20万人とも言われています)は最初の数カ月あるいは数年で亡くなり、またある人は遺伝子に問題が起こり、障害を持つ赤ん坊が生まれたり、子どもを持てなくなったりしました。原爆による放射線は、62年後の現在も深刻な問題を引き起こしています。

原爆の被害を受けたほとんどの人々は一般市民であり、学生や兵隊、町の工場で働かされていた韓国人なども含まれているそうです。

高校の修学旅行以来、何年ぶりかで訪問しました。

75年間は、草木も生えないといわれていた「町」に、緑豊かな木々が見事に生い茂っていました。
62年の歳月が過ぎていても、あの一日で、亡くなった多くの人たちの「悲しみや苦しみ」「生きたかった」という想いなどが、大地から伝わってくるようでした。

敗戦の色が濃くなっていた8月6日の朝、空襲で焼かれてはいけないという事で、建物を取り壊すために沢山の人が借り出されていて、被爆しました。
  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 00:28Comments(0)ペイ・フォワード倶楽部