オオサカジン

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2007年11月28日

ヒロシマ 3

平和記念公園の中には、たくさんの祈念碑があります。

                          原爆の子の像




2歳8ヵ月の時被爆し、12歳で急性白血病と診断された、佐々木貞子さんという女の子を悼んで、友人達が「広島平和を築く児童生徒の会」を結成し、全国に呼びかけて「原爆の子の像」を創ったということです。

          その像を囲むように全国から持ってこられた千羽鶴が供えられています。




 



  
           一杯になると、焼却されていたそうですが、永久保存されると決まったそうです。




               数え切れない人たちの、「平和」への願いそのものです。








     平和への祈りをこめて折られた「千羽鶴」ですが、今までに何度か放火にあっているそうです。

      案内をしてくださった今田さんは、淡々と話されていましたが、とても胸が痛い想いでした。


  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 00:50Comments(2)まじめに・・・

2007年11月26日

早速・・・

   くつしたのお店 「hanako」 - カルフール尼崎店に、募金箱を置いていただきました!





  レジの横には、「ドイツ国際平和村」の簡単な説明のポスターも一緒です。



 

  お近くの方、募金箱を見つけたら、よろしくお願いしますキョロキョロ



  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 22:44Comments(0)ペイ・フォワード倶楽部

2007年11月25日

募金箱



 知恵を絞って、やっと完成した「募金箱」

 たくさんの人の知恵と労力と時間がかかっています。

 でも、これが10個  20個・・・  50個・・・・  100個

 と、置いていただけるところが増えていくと、すごい事になっていきますよね!

 1人の力は小さいけれど、沢山集まれば、大きな力に・・・・

     募金箱を設置していただけるお店を募集しています!  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 22:44Comments(3)ペイ・フォワード倶楽部

2007年11月22日

続いています。

   アクセスしてみてください。

http://blog.goo.ne.jp/diamondaccessjp

        よろしく !  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 09:39Comments(0)

2007年11月21日

満員の居酒屋

美味しい、打ち合わせ。

わかさぎの南蛮漬けと鯛の刺身

  この後、

  シーズン初めての「生ガキ」  

  美味しかったメロメロ

  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 23:18Comments(1)美味しい・・・

2007年11月21日

ヒロシマ訪問 2

ヒロシマ原爆ドーム



「ヒロシマ原爆ドーム」の元の建物



破壊された内部。中で働いていた方は、全員が亡くなりました。



投下直後の町の様子


1945年8月6日、人類史上初めて、原子爆弾が投下されました。

投下後、約1分でリトルボーイ(原始爆弾)は爆発地点に到達したのだそうです。リトルボーイは日本時間午前8時15分、今日”原爆ドーム”と呼ばれている建物の上空580メートルに達した時爆発しました。爆風と熱(爆発の中心部では6000度・地上に到達した熱は3000度とも言われています)の形で凄まじいエネルギーを発生し、人体に悪影響を与える放射線(ガンマ線と中性子)を大量に発生しました。
熱線が地上に到達したとき、人間を含め全てのものが焼かれ、一瞬にして14万人の命が奪われ、町が地獄と化したのです。

原爆による爆風は半径2km以内の家と建築物のほとんどを破壊した。山によって反射された爆風が再び市の中心部にいた人たちを襲いました。

放射線にさらされた多くの人々(20万人とも言われています)は最初の数カ月あるいは数年で亡くなり、またある人は遺伝子に問題が起こり、障害を持つ赤ん坊が生まれたり、子どもを持てなくなったりしました。原爆による放射線は、62年後の現在も深刻な問題を引き起こしています。

原爆の被害を受けたほとんどの人々は一般市民であり、学生や兵隊、町の工場で働かされていた韓国人なども含まれているそうです。

高校の修学旅行以来、何年ぶりかで訪問しました。

75年間は、草木も生えないといわれていた「町」に、緑豊かな木々が見事に生い茂っていました。
62年の歳月が過ぎていても、あの一日で、亡くなった多くの人たちの「悲しみや苦しみ」「生きたかった」という想いなどが、大地から伝わってくるようでした。

敗戦の色が濃くなっていた8月6日の朝、空襲で焼かれてはいけないという事で、建物を取り壊すために沢山の人が借り出されていて、被爆しました。
  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 00:28Comments(0)ペイ・フォワード倶楽部

2007年11月20日

良い湯だな~

我が家の風呂から見える景色


久しぶりの朝風呂は、とてものんびりと気持ちが良かったです。

マンション住まいで、風呂からのこの眺めは、最高ですよ!  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 00:00Comments(0)楽しい・・・

2007年11月09日

ヒロシマ訪問

6日・7日とヒロシマを訪問してきました。




ドイツ国際平和村への3ヶ月のボランティア滞在で、戦地で傷ついた多くの子どもたちと生活をして、「戦争・紛争」というものをとても身近に感じました。そして、自分がほとんど知識がないことに、いまさらながらに気がついたのです。




学校で習った事は、教科書の中の文字に過ぎず、修学旅行で訪れた「ヒロシマ」はとうの昔に風化してしまっていました。そして、テレビで流れてくるニュースは、やはり表面的なことにしか見えず、

  「彼らが何故傷つかなければならなかったのか?」ということが理解できないままでした。



 私の生活の中では「戦争・紛争」という出来事はないです。「当たり前」といってしまうには、その答えが自分の中にないのですね。

 だからといって、現在、紛争が起きている地域に出かけていく事など、とっても出来ない事です。

 そして、ドイツ国際平和村の敷地の中を通っている「Rua Hiroshima」という道路の説明を聞いたときから、私にとって「ヒロシマ」が大きな意味を持ち始めました。
 今年、8月6日の「平和記念式典」をテレビの中継で見ながら、訪問する事を決めました。ペイ・フォワード倶楽部のパネルを貸し出した縁で、静岡YWCAの古河からのご縁で広島YWCAの難波さんを紹介して頂、今回の訪問が実現しました。

「平和資料館」や「原爆ドーム」には、修学旅行生や世界から沢山の方が訪れていました。私もその中の1人として訪問する事は簡単でしたが、それでは表面的な知識を得ることは出来ても、心で受けとめてこれからの活動に生かしていくことは出来ないのではと考え、案内を依頼しました。

ペイ・フォワード倶楽部の活動の目的とヒロシマ訪問の目的・想いを伝えたところ、快く受けてください、1泊2日のスケジュールをお任せ状態で組んでいただけました。

難波さんはじめ、今田さん、戸村さん、山岡さん、豊永さん、
本当にお世話になりました。

皆さんの、ヒロシマに対する想いをしっかりと受け取らせて頂き、共に「平和」を願う仲間として、ペイ・フォワード倶楽部の今後の活動に生かして行きたいと思います。

「ヒロシマ」訪問は、これから数回にわたって、アップしていきます。

                               感謝
  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 11:19Comments(0)

2007年11月01日

吹田市立山田東中学校での講演

ペイ・フォワード倶楽部には様々な方が、サポーターとして登録してくださっています。
その1人に、中学校の先生が居られます。その先生が勤務されている学校に招かれ、ドイツ国際平和村のことについて講演をしてきました。最近は総合学習といって、通常の勉強以外のことを取り上げるために、先生以外の一般の人が講師として話す機会もあるとのことです。

対象は、中学三年生約180人。時間は45分。



事前に、ドイツ国際平和村のビデオ(テレビで放映された部分からCMとスタジオの分を除いたもの)を見せて、アンケートを書いてもらっておきました。
ビデオは、千里山で活動されている「千里山ブログ村」の方に編集していただき、大変助かりました。

6時限目ということもあり、体育館の床に座って聞くということで、沢山の生徒が寝るのでは・・・と考えたりもしましたが、それは私の杞憂だったようです。

1、 自己紹介
2、 「子どもエコワールドツアー」のDVD上映
3、 平和村の子どもたちとの出会い~現地でのボランティア体験
4、 自分に出来ることから「ペイ・フォワード倶楽部の活動」

の順番に組み立てて、話していきました。

多感な年代、自我の形成、進路、友達や親子の関係、はるか(?)昔に過ぎてしまったけれど、確かに自分にもあんなに悶々とした時期があったよね・・・
と、ドイツ国際平和村の子どもたちのことを話しながら、目の前の子どもたちを、たまらなく愛おしく感じました。

 事前に見たビデオは、紛争で傷ついた子どもたちの姿を生々しく映し出し場面もあり、アンケートの中には、
「怖かった」
「無残で残酷で見ていられなかった」
「大人は愚かだ」
というのも沢山ありました。

そして、
「戦争は、絶対にしてはいけないと思った」
「傷つける大人もいるけれど、助ける大人がいるのはすごい」
「自分に出来る事をしていきたい」
「自分が傷ついても、笑顔で生きているのはすごい」
「命を大切にしないといけないと思った」

短い文章でも、一生懸命に書いているのが伝わってきて、読んでいて感動しました。

そして、「いろんな事があって、死にたいと思ったこともあり、今でも生きている意味を見つけられないけれど、平和村の子どもたちをみて、頑張って生きようと思う」と書いている生徒がいました。

ペイ・フォワード倶楽部の活動の中には、ドイツ国際平和村の子どもの事を伝える事で、「平和」について考える機会を提供したい・・という目的があります。

それと共に、日本で生まれ育つ、未来を担う子どもたちが、心も身体も健全に育っていくことにも寄与したい・・という思いも、強く感じました。

昨年、平和村でボランティアをしたときに、アフガニスタンから来たばかりの女の子が、「痒くて眠れない・・」と夜事務所にやってきて、クリームを塗ったときの話をしたのですが、彼女の火傷は全身に広がっており、余りのひどさに

 「この子に何の罪があるのだろうか・・?」
 「一体、この子が何をしたのだろうか・・?」
 「この子が、親から離れて、何故ここに来なければならないのだろうか・・?」

私は不覚にも涙が溢れそうになっていました。
でも、本当に泣きたいのは私ではなく、この子なんだ・・・、そう気がついて
涙を飲み込む事が出来たのです。

そして、彼女はクリームを塗り終わると、「ありがとう」といってベットに戻っていきました。

どれだけの事を伝えられたのだろうか・・と思います。
最後に、
「私が生まれ育った時代と、皆さんが生まれてきた時代とは、ずいぶん違います。しかし、今、この同じ時代に生きている仲間として、共に考えできることが決っとあると思います。」

と締めくくりました。

吹田市立山田東中学校の3年生の皆さん、ありがとうございました。
そして、話をするチャンスを下さった、山田東中学校の先生方に感謝しています。 ありがとうございました。
  

Posted by 花咲人(はなさきびと) at 10:47Comments(0)